そば通とそば屋通

そば通とそば屋通

上の写真を見てください。黒い粒が鬼皮といってそばの実の一番外側の皮です。とても固く香りも強く食物繊維が豊富です。地方のそばはこの実ごとひきます。

唯、麺は黒っぽく、のど越しもぼそぼそしていてとても美味しいそばとは言えません。香りは確かに強いです。こういう麺は世界的にも好まれません。黒いそばって

食欲わきませんもんね。江戸っ子も好まなかったのです。そこで当時上方から来たそば職人が代を重ねて、そばを打つ技術を磨きそばの品質を上げていったのです。

江戸にそばが伝わっておよそ100年後、今我々が持っているそばの技術が完成したのです。江戸そばのそばの実は写真の下の実です。鬼皮を剥いて甘皮がついた状態の

実を挽いてそばを打ちます。香りも適度にありのど越しも良く旨いです。よくそば通を自負する方が香りがとかいいますが、江戸そばはもともと香りは強くないです。

おそらく地方出身でその地のそばと比較しているのだと思われます。そもそも上流階級では甘皮もとった純白の芯の部分だけで打った更科を食します。更科には香りは

全くなく、そばの甘さのみがあるだけです。その甘さを楽しむものなのです。江戸っ子も香りは重要視してません。いやそれよりも、たかだかそばにそんなに拘って

いません。徳川家康の政策によって江戸っ子は260年間、白飯を食べられました。代用食であるそばを食べる必要はなかったのです。江戸っ子がそば屋で拘ったのは

酒です。江戸時代よりそば屋とうなぎ屋は酒が旨くなくてはいけないと言われています。当時日本で一番旨い酒は下り物の酒「灘の酒」です。江戸のそば屋は下り物ですか

ら扱う酒も無論下り物「灘の酒」です。文献によれば、せいろの2倍以上の値段は最低でもしてます。その酒を呑みにそば屋に江戸っ子は行っていたのです。そばを食べに

行っていたわけではないのです。ここに以前ブログで書いたそば通とそば屋通の違いがあるのです。そば通はそばだけに詳しく、そば屋に行ってもせいろを注文して食べて

帰ります。その後香りがどうの汁がどうのと書くのでしょう。そば屋通はまず店に入店して、設えをみたり掃除が行き届いているかみます。そして徐に酒とつまみを注文し

ゆっくりと楽しんだ後、せいろかかけそばを食べて帰るという事になります。そば屋で遊ぶことができるのです。食通です。こういうそば屋通がまだまだ流山には少ないで

す。