千寿ネギの歴史ですが、最初は葉ネギです。
葉ネギといっても分からないかもしれませんね。
緑色の部分が長い、そう九条ネギを想像して下さい。
このネギを江戸時代、泉州(今の大阪)から江戸にもってきて
南砂町で栽培したそうです。
砂町銀座商店街がある辺りですね。
ところが泉州と比較すると江戸は北に位置します。
寒いんです。
寒いが故にネギは枯れてしまいました。
唯、地中に埋まっている白い部分は食べる事が可能だったので
その色い箇所およそ9センチ位の所を食しました。
結果、甘い甘い。
この結果から江戸ではこの地中に埋まった白い部分を
長くして食べるようになったそうです。
白い部分を長くする為、10か月かけて土をかけながら
日に当たらない様して育てます。
手間がかかるのです、根深ネギは。
あ、千寿ネギも含めて白い部分が長いネギを根深ネギと称します。
この根深ネギを栽培する地域が南砂町から千住に江戸時代移りました。
そしてこの千住で栽培されたネギをヤッチャ場と呼ばれる今の千住市場で
セリにかけられ、セリ落とされたネギのみを「千寿ネギ」と呼ぶようになったそうです。
その後現代になると千住も住宅開発から農地が減少し、
千寿ネギの栽培地が荒川を越え、江戸川を越える事になる次第です。
今千住市場というネギ専門の市場に出入りできるのは江戸時代から続く
ネギ専門の八百屋のみです。
残っている八百屋は13軒です。