江戸川台という地に着いて今年で67年目である。そしてそば屋も俺で3代目である。店を継ぐとは思いを継ぐという事かもしれない。祖父は元々広東料理が専門であった。浅草からこの地に来ても無論中華料理をやるつもりでいたそうだ。唯、来てみるとすでに半年前にラーメン屋があって、こんな開発途中の土地で中華屋が2軒あってもしょうがないとそば屋をやる事にしたそうだ。手打ちそばは元々できたので後は出汁の取り方と天ぷらの揚げ方を教わるだけであったそうだ。金町に親戚がやっていた更科があったのでそこで出汁の取り方と天ぷらの揚げ方を教わりそば屋を始めた。祖父は器用な人でウナギもさばけてフグもさばけた。開店当初はお客さんから頼まれて土用の丑の日にうな重を配達したこともあるそうだ。そんな職人気質の祖父は自分で作れるものは全て自分で作るという考えであったそうだ。唯そば屋の経験が浅いものだから、出始めた旨味調味料をかなり使用していたみたいだ。代が父に代わり旨味調味料の使用頻度もかなり減ったようであったが、まだ以前として使用していた。俺の代になり今は全く旨味調味料は使用していない。俺は家庭では旨味調味料は使うべきだと思う。態々出汁を取るのは手間がかかるから。しかしプロが旨味調味料を使用するのは反対だ。プロである以上きちんと出汁から旨味を取るのが仕事と考える。この手間が代価としてお客さんからお金を頂けるものだと思う。自分で作れるものは出来る限り自分で作るという祖父の思いは俺も受け継いでいると思う。