江戸そばは下り物

江戸そばは下り物です。
下り物とは、関西から下ってきたという意味です。
京都には天皇がおり、その京都を中心に王朝文化が関西では花を咲かせていました。
すなわち京都を中心に人、金、物、情報が集まり最高の文化水準であったという事です。

その一つにそばがあります。江戸にそばが伝わったのが1650年、徳川三代将軍家光の時代です。江戸っ子がすぐにそばを食したかといえば、そうではありません。当時江戸っ子が食したのはうどんです。
江戸でそば屋の暖簾が見られるようになったのは18世紀中頃、鬼平がいた時代です。
そばが普通に食される様になっても「おやつ」の位置づけです。けしてそばで食事はしません。

話を戻しますが、関西におけるそば屋は和菓子屋からの転業が多いです。
粉に水を入れて混ぜ、捏ねる作業が和菓子と同じなので最初そばは和菓子屋で売られてました。
ですから今でも都内の老舗に行くとお菓子をメニューに載せているそば屋が見受けられますが
それは和菓子屋から転業した名残です。

当店もお任せのコースでは最後に甘味を出すのは江戸そば専門店としての矜持です。
江戸時代、関西からの下り物ではなく、関東でとれた物、地回りの物を下らない物といって価値がありませんでした。
これが「下らない」の語源です。